私の誕生日はやっぱり「茶碗蒸し」です。
鹿児島の実家の亡母は、私の誕生日になるといつも茶碗蒸を作ってくれました。
茶碗蒸は特別な料理ではないのだけど、必ず食卓にのっていました。
4人兄弟の末っ子に生まれた私は、この日だけは兄姉達よりも多くの銀杏が入っていて満足でした。。
親元を離れた大学生の時。亡母は茶碗蒸の絵を葉書に書いて、バースデイカードを送ってくれました。色鉛筆でぬられた葉書には「恭子ちゃん、お誕生日おめでとう」・・・それを見た途端、気がついてみると故郷鹿児島の実家にむかう特急電車「有明」号に乗っていました。
そして私も新しい家庭を持ちました。
結婚して1年目の誕生日プレゼントは、一輪のバラの花
2年目はブローチ
3年目は何もありませんでした。
何かしら物足りない誕生日。そこで茶碗蒸の話をすると夫がスーパーからラミネートされた茶碗蒸を買ってきてくれました。うれしい涙を流しながら食べたことを今でも覚えています。
そして
小林西高等学校調理科の生徒たちに、食文化概論という授業時に「ケの食事&ハレの食事」すなわち「日常食はバランスのとれた食事、行事食は1年に1回、同じ料理を食べよう」というこの話をしました。
ある年に教室の黒板に生徒の数の茶碗蒸の絵が描かれていました。しかも名前入りです。その中の一人がEXILEのKEIZIです。
そして
日南学園高等学校調理科の生徒達は、修学旅行中に誕生日を迎えたクラス担任の私に、画用紙に書かれた茶碗蒸をプレゼントしてくれました。ホテルのロビーで歌ってくれたバースデーソングは今でも耳にへばりついています。
そして退職の日、調理科2年生全員が、一人一人茶碗蒸を作ってくれました。35個の茶碗蒸を涙を流しながら全部食べて、校舎を後にしました。
だから私にとっては
お誕生日は茶碗蒸なのです。
今では、娘のあすかが、茶碗蒸しを作ってくれます。
おとといの誕生日には、たくさんの銀杏とサラダチキンで、電子レンジで、工夫され進化した野田あすかの茶碗蒸を食べました。・・・でもそれは実家の亡母の味でした。